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2022/01/11

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1992年に書かれた小説。「PRIMARY WORLD」の「ぼく」がコンピューター内(「DUAL WORLD」)に「ぼく」の世界を作るという話。世界そのものを再現するのではなく、人間の認識と世界のあり方を記憶=メモリの問題とみなす。記憶のインプットによって世界の認識を仮構することで、世界が作られる。その入れ子構造は「PRIMARY WORLD」もまた外的な記憶のインプットの産物ではないかという推測を生み出していく。

記憶について言及する際にはそれを語る人の記憶もまた言及の対象となるという事態は、記憶論でも同様のはずである。

2022/01/10

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子供がずっと下痢気味である。本人はいたってご機嫌で、いつものように楽しく遊んだり甘えたりしているのだが心配である。言語的なコミュニケーションが成立しない赤子の状態を知るのは大変で、泣き方や仕草、おもちゃに対する反応といった微かな兆しを読み取り、対応していくことになる。そこでは観察→推論の普段のプロセスが欠かせない。しかも成長につれて理解は常に修正が求められていく。そのプロセスはどことなく作品分析に似ている。

2022/01/09

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教員として関わっている学内選抜展「KUA ANNUAL」。今年度もアシスタント・キュレーターがジャーナルを発行していて、その赤入れ。今号は、12月に行われたプレ展示に対して関係者全員が一言コメントを入れるという趣旨。校正で他の人のコメントを読んだが、全体のノリを理解しないままに場違いな文章を書いてしまったような気がする。書いたのは次のようなこと。

本展の醍醐味は立場の異なる人々や作品の出会いがひとつの展覧会を作り出すところにある。それは「星座的布置(ベンヤミン)」、つまり時間も空間も異なる位置にある星々の光が意想外に結びついてひとつの図を描き出すことに似ている。ただし星座に実体はなく観測者を中心とした球面上に描かれる仮想的な煌めきである。であれば作品群が展覧会となるのはいかなる条件においてなのか。プレ展の会場を歩きながらそのようなことを考えました。

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