かげうつし

いわゆる「使い捨てカメラ」の登場が、カメラ/写真の大衆化に一役買ったことは間違いないだろう。1986年に発売されたレンズ付きフィルム「写ルンです」がその嚆矢である。それまでのカメラに比べて非常に安価であり、フィルムの装填や取り出しを必要としない手軽さゆえに、デーモン小暮らが出演するコミカルなテレビCMと相まって、広く普及していったのである 1

本商品名にも用いられている「うつる/うつし」という日本語は、そこに漢字を当てはめれば、写し、映し、遷し、移し、顕し、現し、伝染し、と様々に表記可能であることからもわかるように、極めて豊かな意味をその内に含んでいる。それは、二つの空間・時間・事物・身体・状態の間を架橋することの謂いであり、ときにそれは、「顕現(顕し/現し)」というように、不可視なものと可視的なもの、あの世とこの世、不在と存在をも媒介する 2。本小論では、そうした「うつし」の語の傍らに「かげ」という言葉を寄り添わせてみたい。「かげ」は、光が遮られた暗い部分、物事の表面にあらわれてこない裏面を指す。と同時に、光や発光体、目に映るものの姿形、鏡や水面などに映る色や形でもある。それは一方で「真影」というように肖像であり、他方で「幻影」、霊魂でもある。影の響き、「影響」は、過去を引きずることもあるし、ときに、未来へ投影されることもある 3。「うつし」と同様、「かげ」もまた架橋的な性格をその内に含むのである。

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こんな遊びをやったことがある人も多いだろう。晴れた日に自分の身体の影をそれぞれ地面に映し、その影の輪郭を誰かになぞってもらう。次に、別の人の影の輪郭に自分の影をあてはめてみる。すると、体の大きさによって影の大きさもそれぞれ異なるがゆえにうまくいかない。しばらくした後、今度は自分の影の輪郭に改めて影をあてはめてみる。すると、自分のものであったはずなのに、影が動いてしまっていてうまくいかない。

「かげうつし」と呼ばれるこの遊びが教えてくれるのは、何よりもまず、時間の移り変わりによって、自らの影が映る場所が移っていく、という光学的・時間的・空間的な影のうつし(映し・移し)である。加えて、この遊びを興味深いものにしているのが、地面に描かれた型(モデル)を模倣(うつ)して、自分/他人の影の輪郭に自らの影をあてはめようとする試みである。その試みが教えてくれるのは、〈わたし〉の影はあくまでも〈わたし〉と結びついており、〈あなた〉とは決して共有できないということである。しかしその一方で、かつて・あった〈わたし〉の影の痕跡に、いま・ここに映る〈わたし〉の影を重ね合わせようとしても、それはもはや叶わない。その影は、〈わたし〉から決定的に切り離された他者として余所に移されてしまったのである。

「かげうつし」遊びにおいて同一性と他者性の狭間をうつろう影の在り方は、いわゆるドッペルゲンガーに似ている。江戸時代の文学者、只野真葛(1763‐1825)は、『奥州ばなし』の中で次のような逸話を紹介している 4。北勇治という人物が帰宅すると、机に向かう男の後ろ姿が見えた。髪の結い方や着衣までもが自分と同じなので不思議に思い近づいていくと、少し開いていた障子をすり抜けて外へと逃げてしまった。あわてて追いかけると、もはやその姿は何処にもなかった。そのことを母に伝えたところ何も言わず押し黙ってしまった。そのすぐ後、勇治は病に臥せ、その年の内に亡くなってしまった。「是迄三代、その身の姿を見てより、病つきて死たり。これや、いはゆる影の病なるべし。祖父・父の此病にて死せしこと、母や家来はしるといへども、余り忌みじきこと故、主にはかたらで有し故、しらざりしなり」。ここで語られているのは、自らと共にあるはずの御霊が他の場所に移ってしまい、それを目撃してしまうという、いわゆる離魂病であり、それが影の病と呼ばれているのである。

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ところで、写真術photography、具体的にはダゲレオタイプが上野俊之丞によって日本に輸入された際、それはただちに「写真」と翻訳されたわけではない。そもそも「写真」という言葉自体は、形似を超えた真理・神気を捉えることの意としてそれ以前から絵画論の中で用いられてきたし、すでに伝来していたカメラ・オブスキュラは蘭学者たちによって「写真鏡」と呼ばれていた。

それに対してダゲレオタイプは、「印影鏡」(島津斉彬)、あるいは「留影鏡」(佐久間象山)などと呼ばれていた。おそらく当時の人々にとって、カメラ・オブスキュラが景色をうつす装置とみなされていたのに対して、ダゲレオタイプは、影、つまりは肖像を鏡の上に印づけ、そこに留める装置と理解されたのだろう。ここで「鏡」という言葉が採用されたのは、それが鏡のように磨かれた金属板であり、その表面に像をうつす技法であったことに由来する。とはいえ、当時の人々が、「留影」「印影」という語に託した驚きと畏れは、特定の技法に制約されることなく敷衍することができるだろう。

例えば、初期の写真の中には、そこにうつる顔が故意に削り取られているものがある 5。その理由に少し思いを巡らしてみよう。例えば、顔を削り取るという行為に、何者かの穏やかならぬ感情の発露をそこに見てとることができるだろう。あるいは、写真が魂をうつしてしまうという信仰ゆえに、縁起が悪いと像主自らが削り取ったのかもしれない。影の病がごとく、そこには自らと共にあるはずの影がうつって(写って/移って)しまっているからである。それゆえ、像主の死後に削られた可能性も捨てきれない。写真の中に留まっている亡き人の影を消去すること、それは、その人の御霊をこの世から解放し、あの世へとうつすという、供養と追悼の行為だったのかもしれない。

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1998年に公開された映画「リング」の中で重要な役割を果たしていたのは、いわゆる「呪いのビデオ」である。映画の原作は鈴木光司による同名小説で、89年に横溝正史賞に応募された原稿をもとに、91年に初版が出版されている 6。この呪いのビデオを生み出したのは、念じるだけで人を殺せるほどの超能力を持つ、山村貞子という女性である。彼女の怨念がうつったこのビデオを見たものは呪われてしまい1週間後に死んでしまう。貞子の怨念が、ビデオを介して、それを見た人に病気のように伝染るのである。伊豆の貸別荘でそのビデオを見てしまった浅川玲子(原作では浅川和行)は、別れた夫(原作では友人)の高山竜司とともにこのビデオの調査を進める。それが貞子の仕業であることを突き止めた二人は、伊豆の貸別荘の床下にあった井戸の底から、およそ40年前に井戸に突き落とされた貞子の白骨化した亡骸を見つけ出し供養する。浅川は1週間を迎えても死に至らず安堵に胸を撫で下ろす。しかし、高山はその翌日、ビデオを見てからちょうど1週間後に自室で死亡してしまう。呪いを解くには、ビデオをダビングして他人に見せ、さらに呪いを伝染させなければならなかったのである。自己増殖が出来ないゆえに他の生物の細胞を利用して増殖していくウィルスのように、自己増殖能力を持たないビデオは、「1週間以内にダビングしないと命を奪う」と脅して、人間の手を借りて増殖しようとするのである 7

もともと小説を原作とする本作は、小説から映画へと媒体をうつし、翻案される際に様々な変更が加えられている。中でも決定的に異なるのは、高山竜司が死ぬ場面の描写である。原作では、もっぱら高山の内面的な動揺――なぜ浅川が助かり自分は助からないのか――に焦点が当てられており、そこで何が起こっているのかという具体的な状況描写はなされないまま、高山は断末魔の叫びをあげて命を落とす。それに対して映画では、高山の死の状況を次のように描いている。高山は自室で妙な音を耳にして振り返る。すると、テレビに井戸が映しだされており、そこから貞子が這い上がってくる。白い服を着て長い髪を揺らしながらぎくしゃくとこちらに向かって歩みよってくる映像の中の貞子は、やがてテレビの画面を通り抜けてこちら側へと這い出してくる。恐怖のあまり顔を歪める高山に貞子がにじり寄り、高山は睨み殺されてしまう。

テレビからの出現という着想は、ハリウッドでリメイクされた「ザ・リング」(2002年)においても踏襲されている。ハリウッド版において、貞子にあたるところのサマラは、早送りされたように瞬間的に移動したり、あるいはテレビ画面が乱れるがごとく明滅し揺らいだりと、電気信号の喩たる観念的な怨霊としてテレビから「放電」される。しかし、日本版「リング」における貞子の現れ方はそれとは異なっている。貞子が身体を歪めてにじり寄るその畳の上には、奇妙なことに、怨霊であるはずの彼女の影がはっきりとうつっているのである。その影は、貞子が肉体を有する生の存在としてそこに現れたことの証である。しかし、だからといって、貞子は、高山と同じ資格でそこに存在しているわけではない。ビデオ/テレビを介して、高山へと呪いを伝染した貞子は、その帰結として、過去から現在へと、井戸の底から高山の部屋へと自らの影を移し、幽冥なる影のこの世への現しとして、いま・ここにいる。映画「リング」において高山は、肉体を持ったうつし身としてビデオ/テレビから「再生」した貞子によって殺されたのである。そうした描写は、映像メディアを介して「かげ(呪い、怨霊、姿形)」を「うつす(写・映・伝染・現、移)」という貞子の力を際立たせている。それはわたしたちにとっても無関係ではない。というのも、貞子の「かげうつし」の力に気がついた時、作中に登場する「呪いのビデオ」と「リング」という映像作品との間に入れ子的な関係が立ち顕れてきて、映像を見ることによる呪いの伝染とその帰結としての貞子の現れという因果が、本作品とそれを見るわたしたちへとうつされるからである。

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こうした「かげ」を「うつす」ことの様々は、いささか妄言じみた戯言のように思われるかもしれない。しかし、メディウムmediumという語が、死者や霊を媒介する霊媒・イタコの意をも含むように、わたしたちが写真やビデオに関して日常的に用いている「うつし」という言葉には、霊的な現象を含む豊かな多義性が潜んでいることもまた事実なのである。そのことを意識した時、「写ルンです」のテレビCMに、「お前も蝋人形にしてやろうか!」と叫んでいたデーモン小暮という「悪魔」が出演していたという事実が、やおら興味深いことのように思えてこないだろうか。

(初出:展覧会図録『かげうつし――写映・遷移・伝染――』2013年)

Notes:

  1. デーモン小暮とは、悪魔の教えを伝えるバンド「聖飢魔II」でヴォーカルを務めていた自称「悪魔」である。1986年に発売された「蠟人形の館」のヒットで一躍有名になる。「お前も蝋人形にしてやろうか!」というデーモン小暮のセリフが有名。1999年にバンドは解散。現在はデーモン閣下と名乗っている。
  2. 「うつし」については以下を参照。中井正一「うつす」『光画』聚落社、1932年7月号。谷川渥「〈うつし〉の美学:芸術の起源神話」『國學院雜誌』111巻11号、2011年。大岡信『詩人・菅原道真:うつしの美学』岩波書店、1989年。坂部恵「〈うつし〉〈うつし身〉〈うつしごころ〉」『コピー(現代哲学の冒険 6)』岩波書店、1990年。坂部恵『仮面の解釈学』東京大学出版会、1976年。
  3. こうした豊かさゆえに「かげ」ついての研究は洋の東西を問わず数多い。ここでは主に以下を参照した。ヴィクトル・I・ストイキツァ『影の歴史』岡田温司、西田兼訳、平凡社2008〔Victor I. Stoichita, A Short History of the Shadow, Reakiton Books, London 1997〕
  4. 只野真葛「影の病」『只野真葛集』鈴木よね子校訂、国書刊行会、1994年。
  5. 例えば小沢健志編『幕末 写真の時代』(筑摩書房、1996年)に紹介されている《長崎の女たち》(p. 237)など。
  6. 鈴木光司『リング』角川書店、1991年。
  7. 『リング』の続編である『らせん』ではまさに呪いがウィルスの伝染として説明される。さらに、その続編『ループ』では、『リング』、『らせん』で語られた世界が、実はコンピュータによってシミュレートされた世界(世界の「うつし」)であったことが明かされる。いわば、この三部作は、人類学的/医学的/情報工学的な「うつし」を主題としているといえる。